ほとんど使ってない&必要ないのでサイト用につくったTwitterアカウントも消しました。
元々Twitterというツールが自分に適してなかったんだとは思いますが、別に絵を通しての交流とかはそんなに興味ないし、作品を褒められたいという欲も特にないんですよね……いや褒められたらそりゃ嬉しいけどね、ありがとう!!!!すき!!!!
身内用の、同級生とかと連絡とってたアカウントとか趣味の情報を得るために居たアカウントとかもあったんですが、Rtとかであまりに情報過多になるとしんどいタイプだし、情報によって自分がかなり左右されるタイプなので(もしかしたらHSPとかそういう症状もあるかもしれません)、普段からニュースは見ないように真剣に心がけているので世間ズレは激しい人なんですが、奇しくもこのコロナ禍で「いかに自分に焦点を合わせることが必要か」をむざむざと見せつけられてしまいました。
そんな中で、自分も自分に入ってくる情報を極力精査して、受け入れるクセをつけないとこれから漫画をかくことも自分の好きな事を見つけることも不可能だと思ったからです。
あ、私の敬愛する伊丹十三監督の著書の一節にこんな言葉があって。
「と、いうようなわけで、私は役に立つことをいろいろと知っている。そうしてその役にたつことを普及もしている。がしかし、これらはすべて人から教わったことばかりだ。私自身はーーほとんどまったく無内容な、空っぽの容れ物にすぎない。」
あんなにすごい映画を撮っていて、あんなにいろんなことを書いている人なのに空っぽの容れ物にすぎない、とはどいいうことか、と、昔困惑した覚えがあります。
よく「好きな事がない」、と言う人がいますが好きな事っていうのは何もないところからは急にうまれてこなくて、自分が見たものや感じた事、体験などから自分で探し出すしかないんですよ。自分の空っぽの容れ物にいろいろつめこんではじめてその中から探す作業が始まる気がします。。。あの伊丹十三ですら空っぽの容れ物だと自分を形容しているんですよ……!
ということは、自分という器に何でもかんでも雑なものばかりを入れている暇はないということです。
好きなことを差し置いてまで、そんなスペースは我々の器には無いんですよ。
こういうことを書くと、好きなことばかりやっているロクデナシみたいに見えるかもしれないんだけど、結局好きなことを見つけるにも、それをやり続けるにもどちらにせよ『高度な学び』は必須だと思うのよ。
だから好きな事というだけで、勉強もしてないロクデナシみたいな考えを持つのはもう古いと思うし、本当に好きな事を見つけられるというのはその方が頑張って自分にいろいろ知識なり情報なりを入れたからだと思うんだよね……
話ズレまくってるけど、という事で私も自分の脳みそ綺麗に保つために(ADHDってただでさえ脳内ごちゃごちゃなので)いい情報を入れたりして毎日すごそう!!
だからTwitterもアンインストールして通知とかない世界にいこう!!!!と、思って占星術オタらしく念入りにわざわざ満月の時間を迎えるのを選んでアンインストールしてしまった(満月は手放し期間という解釈で)

じつはそれ以外にも水星逆行の影響か(重度の占星術オタ的発想)、Twitterで変なのもらっちゃったりしたんだよね、だから丁度いい機会なのでぜんぶやめました。
いやー、星にかこつけて身辺整理していくの最高!!!おれのせいじゃない感がでる!!!(最低)
ということでしばらく脳内整理的にここの更新はハイペースで続きます。そしてまたピタッとたぶんとまるであろう……
お手柔らかに!!