ネームを描いている。
36p全て描きなおすことにしたのでしばらくサイトは更新しないようにしていたけどまだ飾っとくべきものを発見したので貼り。

………ウッ。
まあ相変わらずこんな感じですが……!!
今後は没ネームにも気に入ってるのがあるのでちゃんと絵にするか、ネームのまま端っこに載せるかとかそういうことをしようかなと思います。編集さんからいただいたご意見も同時に載せておけば私のような漫画を描く人間の参考にもなるかもしれんし、没には没なりの理由があるので他人から学べるところは学んで欲しい。
以下は日記や、ものの感想です。
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外出先、本を読んでいたら急に「普段はしない事をすると脳が活性化してかしこくなるに違いない」と思いつき、本を逆さに持って読書するという馬鹿なことをしてしまったが、3分で気持ち悪くなってしまった。不思議だ。
でも脳に血が巡った気もするのでなるべく、しばらく続けて見ようと思う。慣れないことから慣れたこと、に変わればその分ポジティブな変化が自分に降りかかるかもしれないし……
ちなみに読んでいた本は『アイデアの作り方』。
ジェームス W.ヤングの超有名本なのでみんなもよく知ってるだろう。高校の時も1度読んだのだが、また見つけたので手に取ってみた。
なるほど、面白いものです。
これでかしこくなってアイデアマンになる!!!!(発想が既にばかになっている)
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ああ。
本の感想といえば最近『えんとつ町のプペル』の絵本を読む機会があったので少し感想を。
賞賛するような内容ではないので、お気にきになされる方は各自、自衛願います。
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なんというか、読んでる間自然と「…長い…」と思ってしまった。そう思わせた時点でこういったものの創作物としては失敗だとは思うが、まあそこは感性によるもの…ということで(何にしても合う、合わないはあるのだ)。
要するに「泣ける」ように作られた絵本ではあるのだが、同じ「泣き」絵本のジャンルとしてはセブンイレブン系列の店で無料で置いてある絵本冊子「ボノロン」のほうが短く纏まっている分、出来がいいと思う。心洗われる泣き……を求めているのならば無料で読めるボノロンも読んでみることをおすすめする。彼は……モフモフだし?。
私はいわゆる「泣きモノ」は感動の押し売りだと考えているので自分の好みからは大きく外れるし、「泣きモノ」ばかりで育つと泣き=感動・泣けるものだけが感動作……という今、世間に蔓延っている図式を増長させることになると思っているので安易には賛成しない。せっかく創作物は霊性などといった未知の領域と繋がれる機会でもあるのにそういったものばかりでは感性が鈍る結果に繋がるのではないか……(霊性って幽霊やオカルトの話じゃないですよ)。
プペルは長かった。長さにみあったカタルシスは得られなかった。長いと思いながら読んでいたため余計に本編に没入できず、途中で出てきたペンダントの話もどこに伏線があったのか思い出せずに「このペンダントどっからでてきたんだっけ?」と困惑したまま話が進んでしまった……(多分読んでる途中からドンドン忘れていった)
しかし、何よりの本書の特徴であり私が1番驚いたのは巻末のスタッフ一覧だった。前情報をあまり知らなかったので忘れていたのだがそうか、なんかこのへんで炎上してたな……とようやく思いだした。
30人くらいのスタッフがこの本1冊に関わっていた。絵本としてはかなり異例だな……
著者名として表紙に名前を載せていた西野さんは監督みたいなポジションだった。なるほど。新しい。
確かにそれぞれがそれぞれの分野を活かして活躍するというのは効率の良い方法ではあるのかもしれない。が、本を読んで内容にあまり関心しなかったので(大勢の人間を使ってもこれだけの内容か。金の力は無力だ。)とも感じてしまった。切ない。金があっても切ない。
たくさんの人間でモノを作るのは大変です。
……
ルネ・デカルト先生が『方法序説』の中でこう述べていたのを、ふと思い出した。
いろいろな親方の手を通ってきた作品は、多くの場合、一人だけで苦労して仕上げた作品ほどの完成度が見られない。たとえばよくあることだが、一人の建築家が請け負って作りあげた建物は、何人もの建築家が、もともと別の目的で建てられていた古い壁を生かしながら修復につとめた建物よりも、壮麗で整然としている。(中略)むかしスパルタが隆盛をきわめたのは、その法律の一つ一つが良かったためではない。というのは、ひどく奇妙な法律や良俗に反する法律さえも多かったからだ。そうではなく、それらの法律がただ一人によって創案されそのすべてが同一の目的に向かっていたからである。
ルネ・デカルト『方法序説』
……。
つまり、何かしらのモノを作る時は1人の人間が全てを作ったもののほうが完成度が高い、ということ。つまりその人が表現しようとしたものの純度が高い、ということでしょうか。
確かにその通りで、イメージといったものを他人と共有する時に言葉にすればやはり齟齬が生まれてしまうのは確かだし、人数が多ければ多くなるほど最初イメージしたものの純度は下がって完成度が低くなるのは必然だと思う。
だからこそ素晴らしい映画は滅多にお目にかかれないし、素晴らしいものに出会った時の感動はひとしお……あら、話が逸れた。
何がいいたいのかというと、せっかくモノを作ろうという気概があるのだからこの人、西野さんは1人で作った方が最もこの人らしい部分が強調されてより面白いものになるのでは無いか……と。少なくともお笑いやその他の発言を見ている限りではプペルのような作品がこの人らしさとは全く思えない、もっとこの人独自の、人間らしい側面の塊を作るべきだった。そういうのが見てみたい。独自の視点を持っている方のようなので非常に勿体ないとおもった次第。
そんなことを、この『えんとつ町のプペル』の1冊から読みました。どうでもいい個人的な感想でした。映画はレンタル出たら見ようかな。
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あ、余談ですけど「1人の人間が作るモノのほうが完成度が高い」という意味では今、何かしら1人で絵を描いたりモノ作ったり文章かいてらっしゃる方は本当に誇っていいこと!!だと私は思うので、みんな今日も胸を張って生きよう!!!
そして世に出回っている数あるエンターテインメントの中で、おおよそひとりの作家(またはとても少ない人数)でつくられている純度の高い作品媒体といえば「漫画」ではないか、と思った。こんなのが大量に溢れてる世の中、なんて幸せなのだ。
はァ……日本に生まれてよかったし漫画かいててよかった〜〜〜……!
(自画自賛の方向性で閉める……!!)