トップページにキリ番についての説明書きを追加しました。キリ番が全くなにか分からない人もいるかもしれないので何故かアクセスカウンターの説明からしてしまいました…親切丁寧!!!!
もし、アクセスカウンタの存在を知らない人が見て「え……何この数字……?ここの管理人ってこれがオシャレだとおもってるのかな…?(初音ミクの腕に01ってかいてあるみたいな)」ってなったら……?というリスクを回避しました。
まあオシャレだと思ってますけど!!!
さて、忙しくて長いこと放置気味だった反動で高頻度で更新してる私です。やっぱりサイトは楽しいよね。毎度言ってるが。
拍手ありがとうございます。
>キリ番懐かしいっすね!私は27だったので多分半年より早く100到達するんじゃないでしょうか~楽しみにしてます。メリークリスマス
ありがとうございます!!!一瞬27歳の人からコメントが来たのかと思ってフレッシュ!!とおもってしまいましたが違った(笑)
懐かしいですよね。今キリ番やってるサイトなんて相撲の高砂部屋ホームページしかありませんよ!!と、ひと笑い(?)取ろうとして高砂部屋のサイトに確認しに行ったらもうキリ番やってないみたいでした……え?前はキリ番ふんだらちゃんこ鍋食べられる制度があってゲラゲラ笑った気がしたのに……あれは夢…?
人結構いらっしゃっててビビりました。ありがとうございます。
でも大丈夫!!サーチを更新したバブルなので安心です(?)
きてくださってありがとうございます!!ここまできたら自分で踏むような真似だけはしたくないですねヽ(;▽;)ノ
>漫画面白かったです!
ありがとうございます!!!!
漫画の置き方は、だいぶ悩みますね。。。
下にテキストリンクだけで作品名しかかいてないんだけど(工事中のつもりだったし)ホントなら上に持ってきて画像つけてわかりやすく綺麗に飾りたいなあ。など。
こんどやります!おいおいやる
あと1p漫画の整理して載せるのを夏くらいからやるって言っててなにも進んでなかったんだった……
あと没ネームの墓場も用意したい。
よろしくお願いします。
以下は映画感想なのでご興味ある方だけどうぞ!
今敏監督の『東京ゴッドファーザーズ』です。
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クリスマスだからという訳ではなかったのですが丁度クリスマスの夜に適した今敏監督『東京ゴッドファーザーズ』を見ました。
2003年公開の映画ですがネタバレがあるかもしれないので注意願います。
この映画、本当に面白かったです!
予備知識なしで見たのでどんな映画かも不勉強で…全くしらなかったのですが…次から次へと予想のできない自体が起こり、それらがコミカルに解消されていく一連の流れはストーリーとして本当に美しかったし、巧みだと思いました。清子パワーがすごい!!!
クリスマス映画なのに奇跡という名のご都合主義を感じさせない本当にいいエンターテインメントでした。
そしてなにより、目を引くのが主人公3人のキャラクターです。
わざわざメインキャラクター3人をホームレスに選ぶ…?!
ホームレスを描くのってかなり強烈だし、ある意味センシティブな面もあるなと感じていました。普通、アニメにわざわざホームレスのオッサンと、ぶさいくめの女の子を主人公にはしない(ひどい)
なぜなら、それだけで映画を観てくれる人が限られてくる可能性があるからで、つまり商業的に考えたらオッサンよりホームレスより、かわいい女の子がいいんですよ。
この映画の開始5分くらいで、(これは良く金を出して貰えたな……)と本気で思ったくらいでした。
金を出す人間が「これは売れる!」、と思わないと映画って作られないんですよね。世に出ない。
つまり絶対儲かる映画しか映画にほぼならないし、儲けたい以上はビジネスとしてどうしてもマイナス要因は排除しないといけないわけじゃないですか……
そこをホームレス3人組で企画を通して実現させる、世に送り出す。
このパワー、これはほんとにすごいなと思いました。
そんな事を思いながらずっと見ていたわけですけど、鴻池尚史さんと今敏監督の対談映像が付録でありまして。
その中で鴻池さんが私が思っていた通りのことを「普通商業なら美少女でやる」ということを仰っていて……思わず深く頷いてしまいました。
それに対して今監督が「確かに商業なら美少女でロボットで爆発を描いていれば売れる。でも、それはアニメーションの可能性を自ら狭めていることに他ならない。口ではアニメーションに無限の可能性がある…!といっていてもそれではダメなんです。」というようなことを仰っていてました。(記憶があやふやですんません…)
これ本当にいい言葉だな。
勝手に同調してしまい、申し訳なく思ったのですが……
商業だからこれならOKとかこれはダメとかいうのって、絶対あるんです。
エンターテインメントだから仕方がないし、私のようなペーペーの、プロですらないような漫画描きでも編集にみせたら絶対言われる言葉なんですよね。
例えば私は、漫画家のつげ義春先生が大好きなのですが彼の作品はどう考えてもいわゆる商業向きではありません。基本的に暗いし代表作でもなにか素晴らしい活劇があったりするものってないです。
じゃあ、美少女描いたりしてればいいのかってのは絶対違う、ああいう表現でしか描けないものだったからこそ、つげ義春作品って唯一無二だし、ものすごく影響もあるじゃないですか。
ものを作るって、表現って、本来そうあるべきだと思うのですよ。
アニメーションも音楽も、漫画も……その人が思い描いたものを伝えるためのツールにすぎない、と私は考えています。
そのツールをつかっていかに相手に伝えるか?
そのツールで出来うる範囲のことをどのように拡張していくか?
これが、製作者としての義務だと思うのです。
僭越ながら……偏見だらけで、
大変恐縮ですが……
ここ数年間(うちのような田舎まで来てくれる)アニメーション映画は、少年時代の夏休みのコンプレックスをいつまでもひきずった人間の作品ばかりだな、と言うのが正直な感想です。
美しい青空、夏の太陽、美少女との淡い恋。感動のjpop。
今一度、“ツールの拡張”という視点をもって、アニメーション映画に携わっている人には自ら首を締めているかもしれないということを(当たり前ですが全員ではないですよ!)、自ら自分の表現を殺しているかもしれないということを(全員ではないですよ!!!2回目!!!)
ちょっとだけ考えてくれたら私は、未来が楽しいなと思いました。
………いや、違うな。
ごめん訂正するわ。
というか、そういう夏休みコンプレックス(サマーコンプレックスと名付けようかな)で溢れかえった世の中を見る度に、売れるものにしか金を出せない社会の余裕の無さ…のようなものが見えてしまって息苦しい。
本当はサマーコンプレックス映画もあってもいい。求めてる人がいる以上あるべきだ。
問題なのは、それしか表に出てこない現状です。世の中です。
売れる映画にしか金を出せない。いい人材が育たない。だから表現がどんどん貧していく。
ほんとはもっとすごい才能なんて沢山いるはずですし、表現を拡張しようとみんながみんな日夜がんばっている。
「確かに商業なら美少女でロボットで爆発を描いていれば売れる。でも、それはアニメーションの可能性を自ら狭めていることに他ならない。口ではアニメーションに無限の可能性がある…!といっていてもそれではダメなんです。」
……
売れる売れないだけで企画が潰されることなんて本当はあって欲しくはありません。そういうアニメーションや映画界の現状ってひたすら悲しい。ヒット作の裏に世に出なかった名作がどれだけあるのでしょうか。
本当なら、売れなくてもいいから、作ることさえできれば、何も問題はないのに。
これは……最早、経済ばかりを追い求め過ぎた資本主義の限界であり敗北でしょう。
いい映画が無いのは資本主義の敗北です。いい映画がなければ、我々日本人の感性はどう育てるのでしょうか。画一的な売れ線ばかりでどのように“些細なこと”を感じ取る力を養うのでしょうか。
この映画が作られた2003年と今とでは映画を取り囲む社会の経済状況は大きく異なっているため余計にそう感じるのでしょうか。
何れにせよ。
私は、全ての人々が平等に資本主義を基礎とした制度や、なんらかの権威に曲げられることなく自己表現できる世の中であるということを願ってやみません。
なんだか…そんな壮大なことをぼんやりと考えさせられる、いい映画でした。
我々が今いるこの日本という社会は表現することに対して冷たく、そして貧しい。
その上で、この社会の一員として……我々には我々の今できることを精一杯やっていくしかないな……と改めて思った次第です。意識していないと感性が死ぬ社会にいる、そういう国だという危機感だけは本当に強く持っていこうと思います。
……
偉そうに資本主義の敗北、などと飛躍して語っておきながら、映画のラストシーンで主人公が宝くじの1等を当てているのが何とも皮肉ではないですか。